保養のニーズと継続への思い

意見交換会・記者会見資料 (PDF  意見交換会・記者会見「保養のニーズと継続への思い」

2017年6月26日 参議院議員会館

 

1 福島で保護者を支える保育士として

(NPO法人青空保育たけの子 代表 辺見妙子)

福島で保育士をしている辺見です。今日はいつも子どもや保護者と接していて見えることからお話しさせていただきます。まずは、5年前平成24年6月に議員立法で「子ども被災者支援法」が成立したことを改めて御礼申し上げます。そして、それが今も改定されたとは言え継続されていることに感謝いたします。

福島の子どもたちを取り巻く環境は震災以来すっかり変わってしまいました。放射能の影響は福島を広く覆っており、6年たった今でも、震災前と同じ線量にはもどっていません。それにより、子どもの健康被害を不安に思う保護者は避難したり、福島での外遊びを制限したりしてきました。

2017年5月福島県保育連絡会が発行した「福島の保育 第14集」は「震災・原発事故から5年 福島の子どもたち」と副題がつけられ福島の保育の現況を知ることができます。はじめに、の冒頭部分で、事故当時1歳だった子を例にとり「原発事故はその子その大切な『1歳児らしい生活』を根こそぎ(‼)奪ったのです」と書かれています。

本当にそうです。不安をもたずに福島で生活する、ということはわたしには不可能ですし、ほとんどの方は口にこそ出しませんが、多かれ少なかれそう思っていると思います。それは、不安や怒り・憎しみ・恐怖・悲しみといった負の感情は、生き物が生きていくための、命を守るために必要な感情だからです。

しかし、それは他人から承認されませんので、表に出てきません。一方、にこにこ・元気・やる気・まじめ・素直といった感情は他人から承認されますので、表に出しやいのです。福島の復興を、福島に住むわたしたちが喜ばないわけがありません。しかし、負の感情があるということをきちんと自分で統合できてこそ、感情を制御できるのであって、「不安に思うな」という方が無理なことなのです。先の白書には6年たった今でも、外遊びや自然とのふれあいが事故以前のところまでは戻っていないことを示しています。

その原因として、物理的な環境だけでなく、「経験の継承」が行われていないことを第1にあげています。「たとえば虫捕り、散歩、外遊び、どれをとってもどこでどんな面白い遊びがやれるかという知識や方法は、年長のクラスから年少のクラスへ、先輩の保育者から新任の保育者へと受け継がれていくものです。1年、2年にもわたって、外遊びや自然とのふれあいが奪われたということは、その継承ができなくなってしまったことを意味しています。」もうひとつは子どもたちの「心の動き」であるとしています。

「桜の花びらが吹雪のように舞った時、誰ひとり関心を持ちませんでした。…当たり前のように遊んだ自然遊びを子どもたちから奪ったのです」。子どもたちの遊びの文化、そして、情動を奪った原発事故。それを取り戻すために、保育者たちは戦っています。わたしは、それを国や東電の責任だけとは考えていません。わたしたち大人ひとりひとりの責任であると考え、福島の子どもたちを片道50キロ離れた米沢市まで無料送迎し、野外での遊びを中心とした保育を続けています。

全国の保養団体の方々もきっと同じ気持ちではないかと思います。子どもたちに何かしてあげることはないかと立ち上がり、手弁当で活動を続けてこられています。このたびの改正で、交通費が削減されたことはかなりの痛手であったと察しています。

福島の本当の復興には、それぞれの選択があっていいのだという基本的人権を保障されることが必要不可欠だと思います。わたしたちが不安に思い、少しでも線量の低いところで子どもたちが自然体験させたいという気持ちを理解していただき、支援の継続を強く望みます。

 

2 帰還者の立場から当事者のニーズと保養継続への思い

  (福島市に住む幼稚園と小学生の子どもを持つ保護者Tさん)

震災当時私は2歳になったばかりの子供がいて、お腹には8ヶ月の赤ちゃんがいる妊婦でした。原発事故後危機を知った私は近県に避難しながら福島で出産し、夏には関西方面へ母子避難しました。その後主人も仕事を辞め、新築したばかりの家を手放し避難してきました。しかし見知らぬ土地での主人の就職は困難で、転職を繰り返すこととなり生活は全く安定せず、私も避難生活の疲れから心身共に限界を超えていました。そんななか住宅支援の打ち切りの話が出て、金銭的、精神的にも避難生活を継続することができなくなり、昨年の春に私達は福島市に戻る選択をしました。ただし戻ってからは日々放射能が気になり、それもまた大きなストレスとなりました。こうなってしまった以上、避難することも福島に暮らすことも、どちらをとっても辛く困難な事だと痛感したのです。原発事故により放射能という以前無かったものがある福島になってしまったのは、事実なのです。

福島で暮らすからには出来ることをしようと思い、その中で特に必要としているのは保養に行くことです。チェルノブイリの例に学べば保養の必要性は明らかです。長期の休みにはなるべく長く保養に出掛け、週末や祝日のある連休には近場の保養に一泊でもと出掛ける事もあります。長期の休みが近付くと、関心のあるお母さん達と情報を共有し合いながら保養先を探すのに必死になります。しばらく保養に行けていないと放射能と向き合う生活に不安が募り、さらにストレスになるのです。保養は本来なら国や県に行って欲しいのですが、全国の市民団体が福島の子供達のためにボランティアで続けてくださっている現状です。資金繰りから受け入れまで、その大変さを想うと本当に有り難く感謝でいっぱいです。保養とは放射能から身を離すことが一番の目的ですが、他にもとても大切なことがあります。福島では外で遊ばせることをどうしても躊躇してしまいます。子供自身もどこか放射能を気にしているのは事実です。保養先では思いっ切り、土や植物に触れ自然に抱かれ、子供の本来あるべき姿に戻れます。私達保護者も保養先で逐一放射能の心配をする事もなく、心からリラックスして過ごせるのです。普段話せない不安な気持ちを共有し合い、また福島で頑張ろうと思えたりもするのです。そして受け入れをしてくださっているスタッフの方々と交流しながら生活を共にし、保護者も子供達も「受け入れてもらえる場所があるんだ、自分たちの味方がいるんだ、支えてくれる仲間がいるんだ」と思えることがなによりもの心の拠り所となっているのです。各地で避難者に対していじめの問題があるように、原発事故によって福島の子供達はたくさんのリスクを抱え生きる事となってしまいました。そんな中、全国の保養先で関わられている方々の優しさに触れ、福島の子供達への温かい思いを知り、その存在を認めてもらえるということは自尊心を高める為にとても大事であり必要な事だと強く思うのです。

ただし保養団体にも限度があり、年々続けていくことが困難になっています。本当に大変なことをしていただいているのですが、どうか続けていただきたいのです。保養がなくなってしまったら、私は福島に暮らすことが難しいと考えています。住宅支援の終了により、私のように避難先からの帰還を考えている方も少なくないと思われます。その方たちにも保養という安心材料があれば、帰還することも選択肢に入るのではないでしょうか。保養をするという事は、福島の保護者に対し危険をあおることでは決してなく、安心感を大きく増やすのだという事をご理解いただきたいのです。まだまだ保養について知らない保護者もいれば、仕事や金銭的な問題で連れていけない保護者もたくさんいます。保養への家族の理解を得られないお母さんもいます。保養に出掛けるという事が放射能のある生活を余儀なくされた私達の、せめてもの選択肢となればと思います。そして原発事故により生活も環境も全く変わってしまった福島の子供達に、どうか保養に行く権利をください。

私達が福島に暮らすこと、避難すること、保養に行くこと、たとえどんな選択をしても受け入れられる世の中になることが願いであり、差別やいじめがなくなる事に繋がると信じています。

 

3 保養継続への思い

(福島県県中地域に住む小学生二人の子どもを持つ保護者Aさん)

私が保養に行き始めたのは、震災から1年半後のことでした。きっかけは、子どもが笑わなくなったことでした。

原発事故当時、私は4歳の幼稚園生と11か月の乳児の子育てをしていました。当時は幼稚園でも多くの子どもたちが、放射能を気にして水筒を持ってきたりマスクをしたりしていました。私の家のうしろには山があり、何回除染してもすぐにまた放射線量が高くなってしまうので、不安は尽きることがなく、子どものためと思い、外にある全てのものに触れることを制限し、子供たちを家に閉じこめるような生活になりました。

時間が経ち夏になる頃には暑くてマスクはできなくなり、水筒等を持ってくる子の数が少なくなってくると、周りの子との違いを娘が嫌がるようになりました。日常を送る中で、1つ1つ自分が子どもを守るためにできることが削がれていきました。

そしてある日、子供たちが笑わなくなっていることに気づきました。震災前はとてもやんちゃで明るかった娘です。

そこで初めてこの状況がおかしいと感じ、心おきなく外遊びをさせてあげようと、自分の車で県外の公園に行きました。正直に言いますと、当時は風評被害が怖く福島県外に出る勇気がありませんでした。色んな気持ちを抱えて連れて行った公園ですが、子どもはブランコにも触れず、すぐに車に戻ってしまいました。

転機になったのは、福島県内の友達に「保養に行かない?」と声をかけられたことでした。県外の人に警戒心を持っていたそのときは、”頼りたい”けど”恐い”というような複雑な心境でした。

しかし2012年夏に初めて行った神奈川県の保養キャンプでは、私達を本当に温かく迎え入れてくださり、保養最後の晩には、今まで口に出来なかった不安や苦しい気持ちを震災後初めて言葉にすることができました。

保養中に海の近くを通ったとき、海が大好きだった娘に「海だよ綺麗だね」と言っても、娘は決して海を見ませんでした。ほんの数年でこんなにも子供たちの気持ちを曇らせてしまった事を思うと辛かったです。

しかし保養を重ねる度、子ども達はどろんこ遊びをしたり自然と関わったりできるようになりました。私にとって、保養は助けでしかありません。希望です。しかし6年経ち、保養の主催団体さんたちも、資金面やボランティアスタッフが足りず大変な状況だそうです。その一方で保養への参加希望者は増えています。

はじめは自分の子どものことだけを考えていました。しかし、仕事などで保養に行けず不安を抱えている方たちもたくさんいます。福島県内には色んなスタンスや考え方があります。100人いたら100通りです。しかし、支援者の熱意が続き、私たち保護者や子どもたちのニーズがあるうちは、保養に公的な支援をお願いしたいと切に願います。

 

4 前に進むための保養

(福島県県南地域に住む幼稚園と小学生の子どもを持つ保護者Bさん)

私が住んでいる県南地区は、「放射線量がほかの地域に比べて低いから」と、震災後ずっと目立たない地域でした。しかし、震災当時私は妊娠3か月で、2歳の子どもも抱えていたため、地震の被害も含めてどうしたらよいか分からないまま、2011年秋に次女を出産しました。

食べ物の不安もあり、母乳を通して子どもに放射性物質が移行しないか不安で、入院中も退院後も、牛乳や野菜はあまりとらないようにしていた記憶があります。当時の不安な状況は、話せばきりがありません。

公共の場で、気になっている放射能のことについて話そうとすると、「不安に思う人が出てきてしまうから、不安を煽るようなことはしないで下さい」「1人が発信した情報で、県南のすべての人がそう思っていると、そういう環境だと思う人が出てくるので、下手に発信してほしくない」と注意されたこともありました。

そんな中、私は震災から少し経って「保養」という存在を知りました。娘が、生まれてはじめてどんぐりを拾ったのも、生まれてはじめてどろんこになって遊んだのも、保養のときでした。保養うけいれ先のプレーパークで、「危険なことをすれば怪我をする」という「怖さ」も学びました。それまでは、外遊びに慣れていないので、娘は何も怖がることがなかったのです。

放射能についての感じ方、考え方は、人それぞれ細かく違います。受け取り方も、心の傷も違います。でもきっと、中には私のように、不安に思う気持ちも言えずに過ごしている、子育て中のお母さんたちがいるかもしれない。そう思い、現在お話会などもして、保養情報が分からない、お母さんたちに、シェアしています。

ボランティアの皆さんが善意でやっているので、保養の枠は多くはありません。行政が協力してくださることはほとんどないので、福島まで十分に保養情報は届いていません。

最近、「子どもを産んでから放射能が気になりだした。でもどこで保養というものを探していいかわからない」という保護者も出てくるようになりました。私の友人は、「保養は次の世代にゆずる」と、本当は保養に行きたいのに我慢して保養へいくのをやめました。

また、私は避難ができなかったので、避難できた人が羨ましいという思いがずっとありました。しかし、保養の施設を借りて、一週間母子のみで生活したとき、避難した人たちは何も知らない土地でこんなに大変だったんだ、どんなに辛かっただろうと気づきました。

私たちはただ不安がっているだけではなく、そうやって自分で考え少しずつ動いて、お互いの違いを乗り越えようとしています。

私自身も経済的な限界で、今年の夏は保養に行けません。支援者の方たちも本当に善意で一生懸命寄附を集め、ボランティアで保養を開催してくださっています。

保養は、子ども達ばかりではなく、親にとっても、唯一、安心して心も身体も癒される、大事な居場所です。交通費の一部や広報の協力など、本当に少しでもいいのです。どうか保養に公的な支援をお願いします。

 

5 医師としての立場から

  (さがみ生協病院の内科部長 牛山元美)

これまで、甲状腺エコー検診や相談活動を通して、保養にいく方からも、避難している方からも、それ以外の方法で原発事故由来の被ばくを避けている方からも、お話を聞いてきました。

六年経った今も、追加被ばくについて不安を持った保護者が、「不安を持ってはいけない」と押さえつけられている状況が続いています。

それは医師の立場から見てもおかしいことだと考えています。大切なことは「その方の不安な気持ちをまずは受け入れる」ことではないでしょうか。

相手の不安を受け入れてはじめて、対等な立場での「リスクコミュニケーション」が始まります。

様々なデータや見解がありますが、まだ確定的なことが分かっていない以上、可能な範囲で被ばくリスクを減らそうとする個々人の試みは正当なものです。

今回当事者と支援団体が公的支援を求めている「保養」は、選択肢の一つとして重要なものでしょう。

現実として、毎年多くの方が保養に出かけており、保養先が本当の想いや不安を吐き出せる場になっているようです。保養は、「福島が危険だ」と言うためのものではなく、リフレッシュや子どもの健やかな成長のための貴重な機会となっています。

公的に支援していく意味がある活動だと考えます。

 

 

2017年6月27日 福島県記者クラブ内記者会見場

福島県県北に住む、中学生の娘を持つ保護者

私は福島県北に住んでいる、ひとりの娘を持つ母親です。本日は、保養に関してお話させていただきたいと思います。

皆さんは、「保養」という言葉をご存知でしょうか。もしかしたら福島県内でもあまり知らない方も多いかもしれません。しかし、私や私の周りの保護者にとっては、原発事故後、子育てしていくうえで「保養」は欠かせないものでした。

原発事故が起き、私は3月17日に山形県へ一時避難をしました。しかし、子どもの学校と自分の仕事のために、一週間で戻らなければなりませんでした。周りの保護者の方々も、放射能について不安に思い、週末だけ秋田に通っていたお母さんもいました。

震災当時、ここに住んでいた方でしたら、この不安な気持ちを分かっていただけるかもしれません。とにかく分からないことだらけで、自分の身というより、子どもの命を預かっている身として不安でしょうがありませんでした。

しかし、私は子どもを家の中に閉じ込めるのではなく、自然を体験しながら育ってほしいと思っていました。そこで、2011年夏、秋田の仙北市の支援を通して、はじめて「保養」に行きました。自然のなかで、ようやく深呼吸することができ、翌年の夏も同じく秋田に行きました。

そして2013年の夏、福島県内の友人の紹介で5日間三重まで足を延ばしました。それから毎年夏に保養に行っています。保養中、強風の中にいる娘の姿を見て、思わずドキリとしたこともありました。しかし、すぐに「ここは大丈夫なんだ」と気づいて、深くほっとしました。

震災当時、放射能について確定的なことは分からないので、できるだけ子どもにリスクを背負わせたくないと思いました。その思いは今でも変わりません。子どものうちは自分で「選択」できないので、食べものなどほかの生活も含めてできる限りのことはしたいと考えています。

福島にお住いの皆さんで「保養」をご存知の方は、「保養は危険を煽るもの」と思っている方もいるかもしれません。しかし、受け入れ先で何か嫌なことをされたり強制されたりしたことは、私個人は一度もありません。子どもの健やかな成長のために本当に親身になってくださいました。娘も、保養を通して精神的にも成長しました。福島の子どもを受け入れるという関係を通じて、受け入れ先でも福島への理解が進んでいるように感じます。

子どもを育てるということは、原発事故がなかったとしても、迷いや不安があるものです。しかし、原発事故が起き、私たち保護者は、さらにプラスして被ばくのリスクについて考えざる得なくなりました。6年経ち、そういう状況が当たり前になってしまいましたが、ご存知のように、事故前の福島はそうではなかったのです。ただ自然の美しい場所でした。

様々な考えの方がいらっしゃると思います。しかし他の地域では、そもそもこんなに様々なことを考えて子育てをしなければならない状況ではないのです。そのことを忘れてはいけないと思っています。

6年経って、資金的に厳しくなり、続けたくても続けられない保養団体さんが増えています。私の周りではニーズがあるのに、とても残念です。新しく子どもを産んだ方や帰還された方などから、保養のニーズが高まっているというお話も聞きます。

自分の子どものためだけではなく、小さなお子さんがいる方のためにも「選択肢として」保養を継続してほしいと考えています。そのために、交通費の補助や広報の協力など少しでも良いので、保養への公的支援を願っています。

 

 

edited by リフレッシュサポート

info.re.sup@gmail.com

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